プロジェクトY:青年海外協力隊
2012-09-17T21:33:29+09:00
yokokaren
オトン、オカン(私)、ケネス、ミツオ、と暮らしています(ケネスは2018年8月13日に、15歳と4か月で旅立ちました)(ミツオは2021年11月14日に、17歳で旅立ちました)
Excite Blog
岡田外務大臣から・・・
http://yokokeren.exblog.jp/10541725/
2009-12-09T17:13:00+09:00
2012-09-17T21:32:59+09:00
2009-12-09T17:13:11+09:00
yokokaren
青年海外協力隊
こんな郵便物が届きました。
あらためて
おかんからもご苦労さまを言います。
想像を絶するほど、
なかなか過酷だったようでして・・・・
日本の各地に
ブルキナファソで共に過ごした、
「同期の仲間たち」という新たな友人ができました。
そのすべての仲間たちが
この国で、
新しい目標に向かって、
強く、清く、愛をもって、
生きていけますように。
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旅立ち・・・・息子。
http://yokokeren.exblog.jp/10523220/
2009-12-04T07:51:00+09:00
2012-09-17T21:33:29+09:00
2009-12-04T07:51:51+09:00
yokokaren
青年海外協力隊
アフリカのブルキナファソより帰国の息子、
さっさと仕事を決め、
さっさと住むとこを決め、
さっさと荷物を送り、
今朝、さっさと出て行きました。イヨー、息子!
さびしくない、といえば嘘になるけど、
おかん、やれやれ、です。ふっ~。
もう、あとは海となれ、山となれ?って感じ。
思えば、
この短い間に、
おかんはキツーイ言葉を言いました。
あまり多くを語らない彼に、
おかん、酔った勢いで、
「あんたが女の子やったらよかったわ!
ブルキナから帰ってくるまでは
元気でいなあかん、と頑張ってきたけど、
もうどうでもいいわ!」
オトンとちょっぴり気持ちがずれた夜だったから。
ちょっと愚痴ってみたかっただけ。
ごめん。
旅立ちの前夜は、タイ料理。ナスのサラダと揚げ物。お刺し身?
そして、息子がガツガツ食べたグリーンカレー。
そしてこの短い間に、
コーヒーを入れてくれたし、
キムチパスタも作ってくれたし、
お皿洗いもしてくれたし、
カレーも作ってくれたし、
DVDの操作に困っていたら
きちんと見えるようにしてくれたし、
ふと気づいたら、
いつもいつも、こんなおかんを
静かにフォローしていてくれたし。
優しい男の子でよかったよ。ほんと・・・
行ってらっしゃい!
元気でね!
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息子、ブルキナファソより帰国す!
http://yokokeren.exblog.jp/10319789/
2009-10-09T16:28:00+09:00
2012-09-17T21:32:08+09:00
2009-10-09T16:28:50+09:00
yokokaren
青年海外協力隊
お土産はアフリカンな布!とっても素敵な柄と風合いです。
あっという間の二年間・・・
青年海外協力隊の任期を終えて、
息子の帰国の日がやってきました。
「エールフランスのこの便だな」
と、パソコンで時刻表を見ながらオトン。
とうに成田に着いてるはずなのに
ウンともスンとも。
ようやく、待ちに待った公衆電話からの着信あり。
「あ、おかん?着いたし」
「おかえりい~!元気?」「うん」
「エールフランスやったらとっくに着いてるな、
って、お父さんとね、今、話し・・・」
なところで、ガチャガチャと硬貨の切れる音がして
プープープー。
んで、それっきり。
10日ほどウンともスンとも。
12日めにようやく、
「水曜日に帰るわ」
それから、
おかん、妙に張り切っちゃって、
手巻き寿司?焼肉?それとも鍋?
そうや、何が食べたいか聞こう!
なんて考えて、息子の携帯にルンルン電話。
「そんな用事で電話してきたん?」
って、何がやねん!?悪い?
これがな、親心、ちゅうもんや!
その後、おかんからの電話には一切出ず・・・
で、水曜日の夜、
ウニやブリやイクラやらマグロやら、の
手巻き寿司で無事帰国の乾杯をしました!
なんと、
ほんまは、
「納豆」と「焼き魚」が食いたかった・・・と!?
はよ、言え!!!
もっと、もっと、
もっともっといろんなこと、聞きたいのに、
息子、多くを語らず・・・・
男の子って、こんなものなのね。
ま、元気で帰ってきたからよかった!
と、とりあえず胸をなでおろしながら(シャットダウン気味・・・)
ところで、おみやげは何?
と、おかん、再起動!
民芸博で買ったという、エコバッグ、みたいなもの。
やさしい香りのブルキナの石鹸と、コートジュボワールのコーヒー。
サッカー好きの娘にはブルキナチームのユニフォームを。
息子の赴任地は皮の名産地。かわいいパスポートケース!
息子に似た?ポシェットは私に。
バックスキンのとっても素敵な鞄!おかん、いただき~~~!
当分は、
我が家は久々の4人と2匹暮らし、です!
さてさて?
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息子の国からやって来た!?
http://yokokeren.exblog.jp/8618042/
2008-09-16T10:14:00+09:00
2012-09-17T21:28:55+09:00
2008-09-16T10:14:47+09:00
yokokaren
青年海外協力隊
最近、ゴーヤにはまりまくり。
しかも調理法は豚の軟骨とゴーヤを
タイのお醤油、シーユーカオで煮込みます。
軟骨ごとポリポリ食べられるようによ~く煮込むので
ゴーヤの皮のブツブツ部分が茶色くなって、
口に入れるとき、ワニを食べてる気になり複雑・・・
考えないようにしようっと!
コレ、と~~ってもおいしいよっ!お試しあれ。
来年はゴーヤの自家栽培をめざす、yokoでした!
さてこの日は、内心ドキドキしながら修道院訪問です。
実は、友人の計らいで京都のR高校の元校長先生を訪ねました。
カトリック系のこの学校、なんとブルキナファソと深い関わりがあるんですって。
今回、そのブルキナファソから若者が二人来日して、
ここでしばらくの間、日本語や宗教学を学ぶとか。
目の前にいる彼らの国が、今現在息子が住んでいる
遠い遠いアフリカの国、ブルキナファソ、なのです!
カナダ出身の元校長先生は現在は神父さん。ブルキナ訪問時の写真をいっぱい見せてくださいました。
お茶を飲みながらいろんなお話をしたよ!そのあと感謝のジャンベ演奏してくれました!
その演奏の途中になぜか泣けてきそうになってこらえた私・・・
こういう目をした人たちと、こういう笑顔をみせる人たちと、こういう肌の色をした人たちの国で息子は日々送っているのね・・・
ブルキナファソでは地雷や戦争で手足を失った人ではなくて、
ポリオなどの病気で手足をなくした人たちが多くいるらしい。
義肢装具士として息子はあなたたちの国で
少しでもその人たちに夢や希望を与えられたかな?
生きる力になれたかな?
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アフリカ(ブルキナファソ)の息子からの手紙。
http://yokokeren.exblog.jp/8217778/
2008-07-04T16:21:00+09:00
2012-09-17T21:27:23+09:00
2008-07-04T16:21:53+09:00
yokokaren
青年海外協力隊
「ただのオカン」「普通のオカン」のyokoです!ボンジュール!
こんなオカンを笑わば笑え~~!(あはははは~~~!)
うるるん滞在した村の子どもたち。手に持っているのは多分息子が描いたであろう似顔絵。
みんな元気?久しぶりに首都・ワガドゥグに上がってきて、
パソコンが空いていたのでメールしてます。荷物ありがとう。
ブルキナファソに来て、3月末で半年が経過しました。
2年間を考えれば、あっという間に過ぎた感じかな。
今のところ大きく体調を崩すことなく、何とか暮らしています。
10月に約1ヶ月の研修を終え、11月からカヤという街で活動しています。
まあ日本ほど恵まれた環境やないけど、言葉の問題などを含め
(こっちはフランス語よりもほとんど現地語)、いろいろ観察したり、
手伝ったりして過ごしている毎日かな。
こちらの生活はというと、まあ予想してたより大変です。
半年も経つと慣れてしまった部分もあって、最初のころの戸惑いや
驚きも薄れてしまってるところもあるけど、
それでも日々さまざまな問題に直面したりしてます。
家は職場の敷地内の小さなゲストハウスみたいなところの
小さな2部屋を間借りしています。
職場はリハビリテーションセンターで、敷地内には入院施設とかもあり、
日曜日とか知らん子供が家の周りで遊んでたり、
木陰で老婆が一日中泣いていたり、最初は結構ストレスでした。
電気・水道は一応あるけど、停電や断水はしょっちゅうで、
お湯は出ません。12月、1月の朝晩は結構寒いので
(昼間は半袖で十分)、シャワーの代わりにお湯を沸かして
お湯浴びでした。ガスはガスボンベを買って部屋の中に
持ち込んで使ってます。
でも1年で一番暑いのが4月、5月で、今は水を出してもお湯が出てきます。
そもそも建物の作りがいい加減な国なので、風が強く乾燥している日は、
窓を閉め切ってても部屋の中はすぐ砂だらけになります。
食事はなんとか食べてます。現地食として、リ・ソース
(米にトマトソースや落花生ソースをかけたもの)、
リ・グラ(炊き込みご飯みたいなやつ)、トー(とうもろこしで
作った餅みたいのにオクラソースなどをつけて食べる)、
クスクスなどがあって、それなりに食えるんやけど、
いかんせんこの国はレパートリーが少なくて、
どの店に行ってもそれぐらいしか置いてない。味付けもどの店も同じやし。
オカンにはおいしそうに見えます・・・
自炊してるんやけど、食材も限られてて、マルシェ(市場)
でいつも買えるのは玉葱、トマトぐらい。時期によって人参、ピーマン、
じゃが芋、茄子。フルーツはバナナ、オレンジ、スイカ、
そしてマンゴーが時期によって買える。卵、ヨーグルトは、
小さな商店で買え、貴重なカルシウム・蛋白源。
魚は謎の淡水魚を揚げたやつが売ってるだけ。
肉は牛とラムがマルシェに売ってるけど、午後に行くとおびただしい数の
蝿がたかっていて、とても買う気にはなれへん。まあ午後に限らず
マルシェはいつも蝿だらけなんやけど。というかこの国のレストラン
(屋台みたいなもんやけど)とかでも蝿のいないとこなんか
見たことないから、蝿のたかった食事はもう慣れてしまってます。
マルシェ。オカンはこんなとこ、好き~~♪
研修中に電気も水道もない村に1人、3泊4日のウルルン滞在記したとき
出された食事が○○○の臭いがしてとても食べらへん
かった事を思えば、食べ物には結構慣れることができてます。
カヤにはもう1人日本人の協力隊員が住んでいるので、
たまに外食するときは二人で鳥を一羽食べたりしてます。
カヤの街はブルキナファソでは5番目ぐらいの大きさの街らしいんやけど、
信号もタクシーもなく、本屋、スーパーもありません
(まあ首都のワガドゥグですらマクドやスタバもないし、
2階建て以上のスーパーもないんやけど)。
物を買うのはもっぱら青空マルシェです。街には人が溢れてて、
何をするでもない人が道端の椅子に座ってたりします(ニート?)。
バスに乗ると物売りが寄ってきたり、
空き缶を首から下げた子供が金をせびってきたりします。
そして一番目に付くのが街中に散乱するゴミです。基本的にこの国に
ゴミ箱はありません。ほとんどの人がポイ捨てです。鳥肉の骨やスイカの皮とかも
投げ捨てるのが基本スタイル(?)です。買い物すると黒いポリ袋に
入れてくれるんやけど、みんな街中に捨てるので、この国の景色は
茶色の大地に黒が点在している印象です。
ふむふむ、このような光景はタイでもカンボジアでもミャンマーでも同じ。みんな、したたかに生きてるよね!
仕事はとりあえず義肢装具士として、普通に働いています。
本来、協力隊員はマンパワー(人手)として活動するのではなく、
現地の人に助言や提案をしたり、イベントや啓発活動を行うもの
なんやけど、職種的に、そして配属がNGOということもあって、
義肢・装具の技術・知識の指導をしながらも、
ほぼ普通に製作に携わってます。
一般的にブルキナの就労時間は7 :00から12 :00、そして15 :00から
17 :30までです。そして7時には誰も来ずみんな9時とか10時とかに来ます。
長い昼休みの後は、みんな死んだように仕事をしません。
うちの職場は特殊で朝の7 :30から15 :00までが労働時間です。
そしてプロテスタント系NGOということもあり、みんなちゃんと
7時半に来てお祈りをしています。でも日中はほとんど椅子に座って
過ごしてます。挨拶に時間をかけ、人が来ると仕事をほっぽり出してでも
挨拶に時間を費やします。そしてそれが終わるとまた椅子に座ります。
仕事中に散髪に行ったりもします。飯を食いに行ったりもします。
発展途上国がなかなか発展しない理由、資源や気候、さまざまな要素が
絡み合ってると思うけど、その理由の一つを垣間見た気がしました。
1回目の荷物(航空便)は1ヶ月ほどで着きました。船便は2月の末に、
僕が日本から送ったやつと一緒に届きました。ダンボールはぼろぼろで、
僕が送ったやつはネズミにあらされてて、専門書がカレーまみれになってた。
船便するなら、2重のダンボールで丈夫にする必要があると思います。
2回目の荷物も3月頭に届いてたみたいやけど、今日2ヶ月ぶりにワガに
上がったので受け取りました。
それではまた、時間があれば手紙かメールします。
とりあえず健康に過ごしているので、そのへんはご心配なく。
(4月に送ったメールがこちらに届いていなかったので再送とのことでした!)]]>
ガキの使い・・・・
http://yokokeren.exblog.jp/7059277/
2008-01-23T22:22:00+09:00
2012-09-17T21:25:22+09:00
2008-01-23T22:22:31+09:00
yokokaren
青年海外協力隊
息子から「送って~」と注文された、ダウンタウンのDVD。
アマゾンから4本のDVDが届きました(ン万円・・・)。
いくらかかったと思ってんねん!と、一人突っ込みながら、
送る前に、せめてものちっちゃな抵抗?として、
毎晩、娘と「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで」全4巻の
上映会・・・・開催中です~♪
これがまた、メッチャクチャおもしろい~~~。
夜中にギャハハハハ~~~、と高笑い、大笑い!!
やっぱり、彼らをしのぐ漫才コンビは、これからも
まだまだあらわれそうにないな、って感を強くしたのでした!
来週、これら4本は飛行機に乗って、
パリを経由して、
ブルキナファソに行くのね~~。
どうぞよろしくね、って何故かオカン、しみじみ、しみじみ。
2月に入ったら、私もタイに行く予定です!
いつもお世話になるチェンマイのホテルのTさん、
「日本から持ってきて欲しいもの、遠慮せずにどうぞ」
と言ったら、ようやくお言葉に甘えます、と返事が。
うふふ~、小田和正のCD「自己ベスト」。
「私は、言葉にできない、という曲が好きなんですが、
最近、口ずさもうとしたら
「ラ~ラ~ラ~~」
の部分しか歌えなかったので、
詩をもう一度味わいたいと思いました。」って。
そのCDもアマゾンから届いたよ!
日本から離れて暮らしてみたらわかる。
ふと、たまらなく懐かしくなるもの・・・
バンコクで暮らしていたとき、
井上陽水が無性に聴きたかったなあ~~。
今は昔・・・・胸キュンの思い出。
]]>
ダウンタウンに、ミスチルに・・・
http://yokokeren.exblog.jp/6971587/
2008-01-14T17:21:00+09:00
2012-09-17T21:25:47+09:00
2008-01-14T17:21:47+09:00
yokokaren
青年海外協力隊
アフリカの息子から「今年初送付依頼リスト」・・・(笑)
最初の時は、FAXの用紙さえがいとおしくて、
くしゃくしゃになるほど、用紙をながめてみたり、
たたんでみたり、片付けてみたり、また開いてみたり。
そのリストの買い物だけでン万円ほどになり、
航空便と船便だけでン万円を超えた(さっぱりわからん?)。
「もっと減らせへんの?」とひとこと言いたいところだけど、
何しろFAX送信しているのは、200km離れたところに住む、
彼の友人が代理で、ということらしいから・・・・??
今回のリストには「ダウンタウンのガキの使い」のDVDと、
ミスチルの2007年のLiveツアーのDVDの送付依頼。
んもう~~、いくらかかると思ってるんじゃ!と言いたいところだけど、
FAXの最後の「明けましておめでとう」の文字が
おかんの気持ちに火をつける~~~~?!
遠い遠いアフリカの大地にいて、
彼はダウンタウンで大笑いしてみたくなったんだろうか?
大好きなミスチルの音楽を繰り返し聞きたくなったんだろうか?
ほんま、親バカやなあ~~。
]]>
元気でいるか?街には慣れたか?
http://yokokeren.exblog.jp/6478622/
2007-10-31T10:42:00+09:00
2012-09-17T21:23:36+09:00
2007-10-31T10:42:32+09:00
yokokaren
青年海外協力隊
我が家のハロウィーン2007!
息子がアフリカへ旅立って一ヶ月。
「無事着きました。元気です」のメールが一度来たきり。
今日、ラジオでさだまさしが流れてきました。
「元気でいるか?街には慣れたか?友達できたか?さみしかないか?お金はあるか?今度いつ帰る?」
このカボチャも、リンゴも、食べてはダメ、と言われて・・・
]]>
旅立ち・・・アフリカへ。
http://yokokeren.exblog.jp/6195875/
2007-09-21T14:48:00+09:00
2012-09-17T21:22:58+09:00
2007-09-21T14:48:24+09:00
yokokaren
青年海外協力隊
訓練所から戻って我が家で一週間。
転出届や荷物の発送や手荷物の荷造りや、
それから友だちの家でのパーティーや、
嘉田知事さんへの表敬訪問や、
なんやかやとあわただしい日々を過ごした彼は
今日から東京に行って、24日の早朝、成田から出発です。ふっ。
もうあれこれ世話をやくことも、無用な心配をする歳でもないのですが、
やはりいくつになっても息子は息子、
そして、わかったようなこと言っても、私も普通の母親。
夕べは近江牛を奮発して焼肉をしました。
夫もいつになく多弁で、私は酔った勢いで感情がたかぶり、
「なんでそんなところに行こうと思ったん!?」
と、言いそうになって、のみこんで、涙があふれそうでした。
「二年間なんて、あっという間やわ~」などと
私らしく笑ってしめるのが精一杯でした。
今朝、夫は会社へ行く前に、息子に、
「じゃあ、気をつけて行っておいで。身体にも充分気をつけて。
それから、できるかぎり連絡をかかさないようにするんだよ」と。
大きな手荷物ふたつをJALのトラックが集配に来て、
それが行ってしまうとすぐ、東京に行く息子を車で駅まで送りました。
家を出る前に、彼はケネスのもとに行き、少しの間身体に触れ、
二階のたんすの上で寝ているミツオのところへも
お別れのあいさつに行ったようでした。
ケネスもミツオも、覚えていてね!お兄ちゃんのことを。
駅に着いて、「気をつけてね」としか言えなかった私。
いっぱい言いたいことあったのに・・・
そのかわり、運転席から右手を振ったら、
息子も軽くうなづいて手を振りました。
こんなことが、私の心をふわっと温かくしました。
アフリカの人たちに、あなたが希望を与えられますように。
手足の不自由な人たちの、一人でも多くの人が幸せになりますように。
わかってはいるんだけど・・・
帰り道、涙がこぼれそうで困りました。必死でこらえて帰りました。
がんばれ!がんばれ!息子も、私も!
みんな、みんながんばれっ!!
あて先は、アフリカ・ブルキナファソ。JICA、青年海外協力隊office。義肢装具士として技術指導に。大きな荷物を見て、なぜかキュン・・・
この一週間、息子につきっきりだったケネス。寂しくなるね・・・
ミツオ。やはり息子の部屋で一日中寝ていました。]]>
息子の門出 その二
http://yokokeren.exblog.jp/5777273/
2007-07-11T14:12:00+09:00
2012-09-17T21:21:46+09:00
2007-07-11T14:12:37+09:00
yokokaren
青年海外協力隊
yokokarenだす。こんちわっす!
今朝早く、息子、訓練所に入所のため、出て行きました。
昨晩は妙にセンチメンタルおかん、と化して、
さびしくてさびしくて、なかなか寝付けませんでした。
こんなことでは、三ヵ月後の9月にアフリカへ旅立つとき、、
どうするのよぉ!おかん、しっかりせい!
何年か前、高校生になったばかりの彼を日本に残して
私たちは娘を連れてタイに赴任したのです。
何ヵ月後かの夏休みに息子はタイに遊びに来ました。
10日後にまた一人で日本に帰る息子を空港で見送ったとき、
「頑張ってね」と言う私に振り向きもせず、
後ろを向いたまま、「うん」と。
その小さな背中がいとしくていとしくて、
思いもしなかった涙が次から次へとあふれて流れました。
今朝も、「頑張ってね」と、あの日と同じ言葉で見送った私に、
やっぱり向こうをむいたまま「うん」と、
そして「ありがとう」と。
みんなそれぞれ、それぞれの道を。
この道を選んでよかった、とあなたが思えることを
おかんはいつも祈っています、いつも!!
息子の去ったベッドで寝るケネスと、息子の置いていったギタースタンドと、CDと。]]>
息子の門出・・・
http://yokokeren.exblog.jp/5761760/
2007-07-08T23:09:00+09:00
2012-09-17T21:22:12+09:00
2007-07-08T23:09:40+09:00
yokokaren
青年海外協力隊
義妹が実家の青森から息子の好物のサザエを送ってもらったと。
夕方から我が家の桜の木の下で盛大にバーベキューパーティーとなりました。
主役そっちのけでしゃべって、飲んで・・・
義妹も実の妹も、どっちがどっちやら、って感じでワーワーキャーキャー。
甥っ子や姪っ子たちもお肉が先か、サザエが先か、で忙しそうでした。
このまま順調に訓練が終了すれば9月中旬にはアフリカ、ブルキナファソへ。
いくら強靭なおかんも、そこまではついていけないよ。
どうか健康に過ごして、と。
二年後に一回りも二回りも大きな人間になって帰ってきてほしい・・・
おかんは酔った振りして、そんなこと考えていました・・・
そして、先日訪れたアカ族の村への山道、
アカ族の男性が好きだと言ったカーステレオから流れた曲、「息子」。
「お前が生まれたとき、父さん母さんたちはどんなに喜んだことだろう~」
そうだよ~、そうなんだよ~、どうか忘れないでね~!
辛かったら、いつでも帰ってきていいんだよ~~!
私もごく普通の、おかん、なのでした!!
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青年海外協力隊
http://yokokeren.exblog.jp/4764803/
2007-02-17T21:32:00+09:00
2012-09-17T21:19:47+09:00
2007-02-17T21:32:51+09:00
yokokaren
青年海外協力隊
ねえ、ミツオ、
青年海外協力隊、って知ってる?
お兄ちゃんがサ、お母さんのしらないうちに応募してたんだって。
そいで、1次、2次の試験が合格したとかで、
秋になったらアフリカに行っちゃうらしいぜ。
ブルキナファソ、なんて国、聞いたことあるか?
なんでもスイスのNGOのプロジェクトが立ち上げてるセンターで、
障害をもっている人たちの義肢や義足づくりを
現地の人たちに指導するんだってサ。
アフリカ、って聞いたとき、お母さんはびっくりしてたよ。
お母さんが昔、「何かをしなきゃ!」って
奮い立ったきっかけは、さだまさしの「風に立つライオン」
っていう歌だったんだもん!
(それからお母さんもいろんな活動をするようになったって。)
アフリカの貧しい人たちを救うために、
ナイロビに渡ったお医者さんの歌だったんだよ。
なんか不思議な因縁だよね~。風に立つライオン さだまさし
母親として、不安がないわけではないけれど、
自分で決めて、自分で進む道、
一度しかない人生を、
自分のためではない、だれかのために・・・
それもひとつの生き方、と納得したみたいだよ。
ボクの背中を後ろから抱きしめて
お母さんは長い時間、じっとしてたよ。
だいじょうぶだよ、お母さん、ボクたちがついてるよ。
ね、ミツオ、
お母さんを支えていこうね!!
風に立つライオン 歌詞
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